Pier Headに、ミュージシャンの銅像があります。
1950年代後半〜1960年代前半に活躍されたリヴァプール出身の
シンガーソングライター・俳優のビリー・フューリーさん
(1940年4月17日生まれ〜1983年1月28日没)です。
心臓の持病により、42歳で惜しくも早世されています。
エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)のようなルックスでカッコいいですね。
実際に、歌声やステージでのパフォーマンス等も、よく似ていらしたようです。
エルヴィスは1935年1月8日生まれ〜1977年8月16日没とのことですが、
フューリーさんと同じく42歳という若さで亡くなられているのですね……。
1960年5月10日
ロンドンの音楽プロデューサー、ラリー・パーンズ(Larry Parnes)氏が、
フューリーさんの北イングランド&スコットランドツアーに帯同する
バック・バンドのオーディションにリヴァプールへやってまいります。
オーディションが行われた会場は、
ワイバーン・ソーシャル・クラブ(Wyvern Social Club)。
※のちに“ブルー・キャンドル(The Blue Candle)”と改名されます。
ビートルズも、The Silver Beatles時代にこのオーディションに参加していますが
スチュワート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)の演奏の未熟さを指摘され、
スチュの脱退を申し入れられるも、友情を優先した
ジョン・レノン(John Lennon)の意見でフューリーさんの
ツアー・バック・バンドは辞退することにしたそうです。
《スチュをメインに描いた映画》
しかしながら、パーンズ氏はThe Silver Beatlesに可能性を感じ、
ジョニー・ジェントル(Johnny Gentle)のバック・バンドとして
単独演奏も含めたスコットランド・ツアーの同行を依頼します。
レノンは、ツアー中の休日にジェントルの作詞も手伝い提供しています。
のちに、ジェントルはアダム・フェイス(Adam Faith)に
その曲=“I’ve just fallen for someone”を提供し、このEP盤が
(作詞は一部分ではありますが)レノンの記念すべき初リリースとなったそうです。
その3ヵ月後には、ジェントル自身もダレン・ヤング(Darren Young)名義で
シングル盤をリリース、“My Tears Will Turn To Laughter”のB面に収録しています。
・・・
The Silver Beatles時代のポール・マッカートニー(Paul McCartney)は
“ポール・ラモーン(Paul Ramon)”の名前で活動していました。
ラモーンズ(Ramones)は、この名前にちなみ
ディー・ディー(DeeDee)が付けたと言われていますね。
このときのオーディションの写真を目にされたことがある方も、少なくないと思います。
また、このオーディションで会うことができた憧れのフューリーさんからサインをもらう
リーゼント時代の若きジョン・レノン(John Lennon)の写真も残されているようです。
《参考書籍》
ザ・ビートルズのオーディションの不合格といいますと、
1962年のデッカ・レコード(Decca Records)のお話も思い出します^^;
ちなみにフューリさんは1966年まで
そのデッカ・レコードから作品をリリースをされていました。
リヴァプールの偉大なるスターのひとり=フューリーさんのファンクラブによって
2003年にリヴァプール国立美術館に、こちらの銅像が寄贈されたそうです。
銅像は、リヴァプール出身の彫刻家トム・マーフィー(Tom Murphy)氏が制作。
マーフィー氏の銅像作品は、リヴァプールのいたるところで出会うことができ、
各都市からのリヴァプールの玄関とも言えるリヴァプール・ライム・ストリート駅
(Liverpool Lime Street station)構内や、リバプール・ジョン・レノン空港(Liverpool John Lennon Airport)内のジョン・レノン像も手がけられたそうです。
そしてフューリーさんについては、The Museum of Liverpoolにある
“Wondrous Place Gallery” で、より知ることができるそうです。